2022/07/30 15:05

西欧的な「罪の文化」:道徳は絶対的な標準をもつものとされていて、個人が良心による内面的な罪の自覚に基づいて行動を律していること。
それに対して日本人の生活に見られる「恥の文化」:他者の非難や嘲笑を恐れて自らの行動を律するということ。


もっと簡単に言うと、
欧米では内面の良心を重視する「=罪の文化」
日本は世間体や外聞といった他人の視線を気にする「=恥の文化」
ということです。



こんにちわ!
ルミナス並びに『聖なるルドラクシャ』のKeikoです。
本日は、上にも書きました
<『罪の文化』と『恥の文化』について>

コロナ感染についての例もいい例ではないかな、って思っています。

ここイギリスでは、2020年春、国を挙げてのロックダウンをしました。
当時、コロナに感染したら感染した人は顔も名前も出してテレビに出て
「こんな症状です。皆さんも気をつけてください。」
「家族がコロナで亡くなりました(悲)、どうか皆、外出を控えて!」
など、、、(もう一回書きます)顔を出し、名前まで出して訴えていたのに、


日本では
・感染したので引っ越ししなくちゃいけない
・子供が感染し、転校を余儀なくされた
・感染したなんてとても言えない
・村八分になる!
、、、など聞き、ひえーー、なんだそれーーー!、、、って思ってました。


コロナ感染は誰にでも起こりうること。
感染して謝罪する芸能人もおかしく感じたな〜。


こういうこと全てが、結局は「恥の文化」だろうなー、って思ってました。




おっと話を元に戻すと。
「恥の文化」って、結局は人の目を気にしているっていうことですが、例えば相手が迷惑に思っているかどうかは、は、その人の問題です。
放っておけばいい、、、あ、、、違う^^:?


「罪の文化」のように生きていくと、”道徳”の中で生きていけるので楽なのかも。
そして、なんだかこちらが正しいような気もします。



本文とはなんの関係もないのですが、2009年時のバリ島。
ガムラン演奏を教わっているところです。



さて。
とはいえ、「恥の文化」も良いところがもちろんあるんです。
他人の目を気にする、って否定的な意味に取らないで、周りを意識して、「多くを語らなくてもわかってくれる」という日本人特有の”良さ”ってあると思ってます。


なんでも言葉にしていかないといけない西洋の文化って時として疲れますから(あっはっは。笑)。


日本人は、自己表現が苦手で消極的だと言われますが、、、
それのどこがいけないのだ
って感じ^^。



ただね、、
褒められたら「ありがとう」でいこう!
「いや、、そんなー」と、案外まんざらでもないのに言ったところで、相手だってわかってますから^^。


「ありがとう」・・・これが何よりの言葉です。

けなされても「ありがとう」、、、これで相手は何も言わなくなりますよ。


恥の文化、は、良い行いとして認識して、あとは何事にも感謝。
これで平和に過ごせるはずです。


色々な道徳は、ルドラクシャが導いてくれますよ!

本日も『感謝の日』でありますように!


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Namaste!